日本最大の政治問題をどう考えるか
日本には「軍隊」が存在しません。これは日本国憲法の三大原理に含まれているので多くの方が知っている問題でしょう。日本は「戦争をしない」国となっています。
しかしいくら日本が戦争をしなかったとはいえ、外国が攻めてくる可能性を排除することはできません。そのため戦後いろいろな政治家が対応策を考え、議論されてきましたが、結論など出るはずもなく、現代においても議論は続いています。その議論を理解するための基礎知識を習得しましょう。
日本の安全保障の推移
日本の安全保障体制は、第二次世界大戦後の国際情勢の変化に応じて大きく変遷してきました。それまで日本は積極的に植民地獲得へ向けての戦争を吹っかける、と言うことが多かったのですが、戦後のGHQ支配により180度転換することになります。
戦後直後の1945年から1952年までの占領期において、日本は連合国軍(実質的にはアメリカ)の管理下に置かれました。この期間中、日本は平和主義と平和的生存権を基本理念とする日本国憲法を制定したことは憲法の部分で取り扱いました。ここでは憲法9条に焦点を当てなければなりません。ここでは戦争放棄と戦力の不保持を明確に規定し、国際平和を重視する姿勢を明確に示しました。具体的には全世界の国民が平和の中で生存する権利(=平和的生存権)を保障することで記載されています。つまり戦後すぐの段階では自衛隊などが一切存在しなかったと言うことになります。
しかし、1950年に勃発した朝鮮戦争を契機として、日本の再軍備への圧力が高まることになりました。教科書的にはこれだけで記載が終わるわけなんですけれども、どうしてそういう論理になったのか、という点を詳細に説明しましょう。
他の軍から攻め入られないように、日本はGHQが警備をしていました。しかしながら、GHQというのは事実上米軍ですから、朝鮮戦争が勃発するとそっちに軍隊を派遣しなければならなくなったのです(韓国がはじめ劣勢だったためです)。というわけで自分の国くらい自分で守れ、という話になってしまったので、日本も「軍隊のような戦争をしない警備だけをするような部隊」を作れということになったのです(ご都合主義丸出しですね)。
そういうわけで1950年に警察予備隊が設立されました。この組織は52年に保安隊へと改組され、より軍事的な性格を帯びるようになりました。続いて54年日本はMSA協定(相互防衛援助協定)をアメリカと締結し、アメリカからの軍事援助を受けることで、徐々に防衛力を整備していきました。ついには同年に自衛隊が発足することになります。根拠法となった自衛隊法では、文民統制(シビリアンコントロール)の原則の下で運営されることが定められました。これは、軍事組織に対する民主的なコントロールを確保するための重要な原則となります。具体的には軍人には政治をやらせない、ということです。
ここまでも、事実を分析すると、52年は日本の安全保障政策において重要な転換点となるでしょう。というのも、この年サンフランシスコ平和条約の発効により日本は主権を回復し、同時に日米安全保障条約を締結しました。この条約により、日本の安全保障はアメリカとの同盟関係を基軸として展開されることになりました。
自衛隊の存在自体の合憲性については、砂川事件(1959年)や長沼ナイキ訴訟(1973年)など、様々な司法判断を通じて議論が重ねられてきました。これらの判例は、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在を事実上容認する方向で展開されてきています。
1960年代から1970年代にかけて、日本の安全保障体制は更なる発展を遂げました。1960年には新安保条約が締結され、日米同盟の基盤が強化されました。この新条約では、旧条約に比べて両国の権利義務関係がより対等なものとなり、また日本に対する武力攻撃が発生した場合のアメリカの防衛義務が明確化されました。1967年には、核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずという非核三原則が提唱され、日本の安全保障政策の重要な柱となりました。1978年には日米防衛協力のためのガイドラインが策定され、両国の防衛協力の具体的な方針が示されました。このガイドラインにより、平時から有事に至るまでの様々な状況における日米の役割分担が明確化されました。
1990年代以降、日本の安全保障政策は国際貢献という新たな側面を強化していきました。1992年にはPKO協力法が成立し、自衛隊の国際平和維持活動への参加が可能となりました。これにより、日本の安全保障政策は、自国の防衛だけでなく、国際社会の平和と安定への貢献という新たな役割を担うようになりました。1996年の日米安保共同宣言では、冷戦後のアジア太平洋地域における日米同盟の重要性が再確認され、両国の安全保障協力の範囲が拡大されました。1999年には周辺事態法(後の重要影響事態法)が制定され、日本周辺での有事における自衛隊の活動範囲が明確化されました。
21世紀に入ると、国際テロや地域紛争への対応として、自衛隊の活動範囲は更に拡大されました。2001年のテロ対策特別措置法、2003年のイラク復興支援特別措置法の制定により、自衛隊は国際的な平和維持活動や人道支援活動により積極的に参加するようになりました。そして2015年の国際平和支援法の制定により、自衛隊の海外での活動範囲は一層拡大され、より包括的な安全保障体制が構築されることとなりました。これらの法整備により、日本の安全保障政策は、国際社会との協調を重視しつつ、より実効的な防衛体制の確立を目指す方向へと発展しています。
現代の安全保障政策の課題
2015年の安全保障関連法制の成立は、日本の安全保障政策において歴史的な転換点となりました。この法制により、集団的自衛権の限定的な行使が可能となり、日本の防衛政策は新たな段階に入りました。さて具体的にはどのようなことが日本の平和主義の課題となっているのかをざっと確認していきましょう。
地域情勢の変化への対応ー安全保障の「課題」ー
中国の軍事力増強と海洋進出
中国は軍事力を増強させてきており、軍事予算を拡大しています。特に南シナ海および東シナ海において、中国は積極的な海洋進出を行っています。尖閣諸島の問題などが最も代表的な例ですね。その一環で、軍事拠点を人工島に置き、周辺国との間に緊張関係が続いています。
北朝鮮の核・ミサイル開発問題
北朝鮮は金一族による独裁政権が続いていて、頻繁にミサイル発射実験を行っています。これは現代日本を生きている人なら痛感しているはずです。そしてそれは日本に対しても非常に大きな脅威となっています。
現代日本はどこへ向かうのかー安全保障の「対応ー
どうしても日本は米国の「核の傘」(アメリカが核を持っているので、日本に手出しすると戦争になるのではないか、という恐怖による安全保障)にいるため、日米同盟は重要になります。しかしそれだけでは、不安定感は払拭できません。そのため、日本は自力で守り切ることを念頭にした安全保障にシフトしている最中にいます。これで基礎知識は以上となります。ここからはより自分たちで考えていかなければならない局面にいるのではないでしょうか。

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