というわけで本日は憲法について扱います。将来の話ばかりにはなりますが、法学部になると、週2コマを2学期分くらいは延々と聞かされます。あれマジで眠いらしいです。また教員免許を取る人も、必修で取らされます。必ず、エッセンスとなる部分は抑えましょう。マジでこの後の、政治の話には全くついていけなくなります。というわけでまずはこれまでの憲法2つについてざっと概観するところから始めましょう。
大日本帝国憲法と日本国憲法の成立
大日本帝国憲法(明治憲法)と日本国憲法(現行憲法)は、それぞれの時代背景と思想を反映した特徴的な違いを持っています。まずは成立の背景について詳しく解説いたします。
大日本帝国憲法の場合
大日本帝国憲法は1889年(明治22年)に定められました。成立したことが明治時代のことでしたから、通称名として「明治憲法」と呼ばれております。明治憲法は、当時ドイツで施行されていた「プロイセン憲法」などの憲法を参考に「欽定憲法」として定められました。
この「欽定憲法」とは「君主が制定した憲法」のことを言います。簡単にいうと「王様が作った憲法」ということになります。日本においては「王様」≒「天皇」ですから、天皇により定められた憲法、ということになります。
このようにして憲法が定められたわけですが、しばらくして大正時代になるとこれを活用して、立憲主義に向かっていきました。この一連の運動を「大正デモクラシー」と言います。これの流れを受けて男子で25歳以上ならば、誰でも国政選挙に投票できる「男子普通選挙制度」が定められましたが、同時に「治安維持法」という悪名高い法律も成立しました。
これはいわゆる共産主義や自由主義など(=反政府的とみなされたもの)を弾圧するために使用された法律になります。この法律により、戦時中の言論活動が妨げられ、誰も戦争が止められなくなっていくことになります。
日本国憲法の場合
日本国憲法は1946年(昭和21年)から1947年(昭和22年)にかけて定められた憲法ということになります。なぜ「かけて」という風に記述したか、と言いますと、「公布」(=これからはこの憲法でやっていきますよ、と発表すること)と「施行」(=憲法が権力を持つこと)が行われたのが違う年であるためです。具体的な日付もテストに出るので、是非とも覚えていただきたいんですけれども、前者が46年の11月3日、後者が47年の5月3日に実施されました。
前項で説明しました「欽定憲法」と「民定憲法」の違いという話ですが、日本国憲法の場合は「後者」ということになります。それはなぜかという話ですが、明治憲法の場合は、天皇からあなた達にあげますよ、という形で定められた憲法ですが、こちらは”一応”人民により定められた憲法であると解されるためです。
なぜ”一応”とされるか、という問いの答えはこの憲法の成立過程を整理すると明らかになります。日本国憲法がなぜわざわざ定められたかというと、やはり第二次世界大戦の敗戦に、大きな原因があります。敗戦に至った直接の原因としては、「ポツダム宣言」の受託が原因となります。
その後1945年(昭和20年)10月には、日本を占領していた(いわゆる植民地化していた)、連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーより、憲法改正をほのめかされます。それに対して政府はいわゆる「松本案」を提示しました。ちなみに中身について軽く説明すると、明治憲法の内容を軽くブラッシュアップした程度でした。
そんな内容であるためGHQが独自に憲法案を作りました。これがいわゆるマッカーサー草案と呼ばれるものです。この内容が帝国議会に提出されて、多少の修正がなされることにより日本国憲法が決定しました。
このプロセスの中で天皇は全く介入していませんから、「民定憲法」ということになります。まあ文字通りの平民によって形成された憲法というわけではありませんが。
憲法の特徴
主権の所在
憲法の最大の区別点は、「主権が誰にあるのか」言い換えるならば、「政治を実際にしているのは誰なのか」ということで区別されます。例えば明治憲法では天皇主権でした。つまり天皇は国政の最高権力者として立法権と行政権を有し、「神聖ニシテ侵スヘカラス」とされていました(この点は立憲君主制ということからも説明可能です)。立法権を持つ場所として帝国議会は存在したものの、その権限は制限的で、天皇の意志に反することは許されませんでした。よって立法権も事実上天皇が掌握していたことを意味します。また、明治憲法下では、国民の権利は天皇から恩恵として与えられた「臣民の権利」という位置づけでした。簡単にいうと国民の権利は政府の都合によって容易に制限することが可能であったということです。
一方、日本国憲法では、前文に「主権が国民に存することを宣言し…」とあるように主権が国民にあることを明確に規定しています。このように主権が国民にある状態のことを「国民主権」といいます。国民は生まれながらにして基本的人権を有する主体として認められ、その権利は憲法によって永久に保障されることとなりました。反対に天皇は「国民統合の象徴」として位置づけられ、政治的権能を一切持たない存在となりました。このことは日本国憲法第1条から読み取ることが可能です。
基本的人権の保障
明治憲法において、国民の権利は「法律の範囲内」でのみ認められる制限的なものでした。また、これらの権利は天皇から与えられた恩恵として位置づけられ、法律によって容易に制限することが可能だったということになりますし、治安維持法の例からも読み取れるように結構制限されることが多いものでした。
これに対し日本国憲法では、まず個人について、かけがえのなものと定義しその上で、これを人権保障の基本原理と位置付けました(日本国憲法第13条)。その上で基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として規定しています。特に、個人の尊厳(第13条)、法の下の平等(第14条)、思想・良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、両性の平等(第24条)、人身の自由に関して(第31〜40条などが詳細に保障されています。また、これらの権利は生来の自然権として認められ、国家権力による制限から保護されています。
平和主義
平和主義に関しては、後程軍事問題の部分で詳細に取り扱うことにしますが、ここでも軽く触れておきます。
明治憲法では、天皇が統帥権を持ち、軍事に関する最高の権限を有していました。軍部は天皇に直属し、文民統制(シビリアン・コントロールという)から独立した存在でした。
一方、日本国憲法は第9条で戦争放棄(第1項)と戦力の不保持(第2項)を規定し、国際平和を積極的に追求する平和主義を採用しています。これは世界でも類を見ない特徴的な条項となっています。
統治機構
明治憲法下では、天皇を頂点とする中央集権的な統治構造が採用され、行政権は天皇に属し、内閣は天皇を補弼する機関として位置づけられていました。また、司法権も天皇の名において行使されました。何をするにも、「天皇が」政治をすることを重視していた憲法ということになります。
日本国憲法では、国民主権の原理に基づき、立法・行政・司法の三権分立が明確に規定されています。各機関は相互にチェックアンドバランスの関係を保ちながら、独立して職務を遂行します。また、地方自治の保障も明記され、地方分権的な要素が強化されました。
憲法そのものの性質
憲法は国の最高法規であり、国家の形態、国民の基本的人権、政府の統治機構などを定める根本規範です。そのため一般的な法(拘束力のみを持つ)ものに対して、異なる性質を持っています。主に持っている性質は2つあります。
最高法規性
日本で施行されている法の中で一番権力を持っている法ということになります。その性質を担保するために2つの特殊な仕組みがあります。
1つ目として、憲法は最高法規であることから、その他の法律が憲法に反する内容であったとき、その法律は無効となります。先で扱う国民の権利の部分においてバンバン違憲判決ということを扱うことになりますが、その根拠となるのがこの性質です。
公務員(裁判官や議員・国務大臣を含む)には「憲法尊重擁護義務」という義務が課されます(憲法99条)。文字通り憲法を尊重する義務が課されます。
よくある誤解ではありますが、憲法尊重擁護義務は国民には課されていません。これは憲法は国民を縛るものではなく、国家権力そのものを縛るものである、という立憲主義の真髄を反映しているためです。
※ 公務員は「全体の奉仕者」などと記載されていることから、国家権力を司っている人々という解釈ができますね。
憲法改正
いわゆる法律の改正は、国会の部分でより詳しく説明することになりますが、ここでは憲法の改正について扱います。というのも憲法の改正は通常の法律の改正とは異なり、「国民投票」を必要とすることに特徴的であるためです。
通常の法律の改正は(詳細はすっ飛ばして)衆議院と参議院の過半数の賛成があれば成立することになります。しかし憲法がそんなに簡単に改正されてはいかん、ということで慎重を期して次のように改正手続きが行われることになります(仮に法律と同じような手続きで改正できたならば、憲法9条などとっくの遠に改正されています)。
1. 改正原案の提出
通常の法案は内閣や国会議員などが提出可能ですが、憲法の改正原案については、衆議院議員100人以上または参議院議員50人以上を集めないと、”法案”の提出すらできません。そのように提出するだけでも通常の法案よりも、提出しづらくなっています。ちなみに説明し忘れていましたが、憲法改正の場合は、「法案」とは言わず「改正原案」と言います。
2. 憲法審査会での可決
日本の国会は委員会制度(本会議で全ての議案を審議するのではなく、専門の委員会でまず審議して可決されたもののみを本会議に提出するという制度)ですから、憲法の改正原案も委員会で審議されることになりますが、日本には憲法委員会なるものはありません。
憲法委員会とは言わず「憲法審査会」と言い、その憲法審査会に議案が提出されます。憲法審査会で改正原案が審議され、可決されたならば、次のフェーズ、本会議へと駒を進めることになります。
3. 本会議による発議
いよいよ改正原案が本会議に提出されたならば、本会議で「発議」します。「可決」ではありません。なぜ「可決」ではないのか、それは本会議で賛成多数(この条件も特殊ですが後述します)であったとしても、それでは日本国の決定とはならないためです。
でこの賛成多数なんですけれども、通常「出席議員の過半数」で可決ですが、憲法の時は「総議員の3分の2」がなければ賛成多数と認められません。以下具体例です。
例1
衆議院の総議員は465人(3分の2は310人・過半数は233人)である。この時本会議に憲法改正原案が提出された。この時250人が改正原案に賛成した。
→この案が法案なら可決だが、憲法改正原案であるから否決される。
例2
例1の構成員で次のような場合を考える。この時400人が出席していたとする。改正原案には270人が賛成した。
→仮に憲法改正の要件が「”出席議員”の3分の2」なら可決であったが「総議員の3分の2」が賛成していない。よって否決。
この発議は衆参両方で発議されなければ次のフェーズには進めません。
4. 国会で発議されたら…
国会で発議されたならば、最後の手続き、国民投票に入ります。国民投票では有権者の過半数の賛成が必要となります。仮にこれで賛成多数ならば、憲法は、形式上天皇が承認する形で、国民の名前によって、改正されることになります。

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