【高校 政治経済16】敗戦と高度経済成長の政治

今回からはこれまでの日本政治について概観していきます。今回はまず、高度経済成長までの日本復興について概観していくことにしましょう。

敗戦と占領期(1945年から52年)

1945年からの数年間は日本政治が民主化を迎えた年代にあたります。この時代は日本政治における非常に重要な「日本国憲法」の制定が行われることとなりました。基礎となる時代ですからひとつずつ確認していきましょう。

GHQ占領と民主化改革

1945年8月15日、日本は連合国に降伏し、同年9月からGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領が始まりました。GHQの初期の占領政策は「非軍事化」と「民主化」の2つを柱としていました。

主な改革としては:

  • 軍国主義者の公職追放(約20万人が対象)
  • 財閥解体による経済の民主化
  • 農地改革(地主制度の解体と自作農の創設)
  • 労働改革(労働三法の制定による労働者の権利保障)
  • 教育改革(6-3-3-4制の導入)

これらの改革は日本社会の民主化に大きく貢献し、戦後日本の社会・経済構造の基盤を形成しました。

日本国憲法の制定過程

民主化の中心となったのが日本国憲法の制定です。当初、日本政府は明治憲法の一部修正案(松本試案)を提出しましたが、GHQはこれを拒否。GHQ民政局が草案を作成し、日本側との協議を経て1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行されました。

日本国憲法の三大原則:

  • 国民主権(天皇は「象徴」と位置づけ)
  • 基本的人権の尊重(自由権・社会権・参政権など)
  • 平和主義(第9条による戦争放棄と戦力不保持)

この憲法は現在も日本の最高法規として機能しており、戦後日本の平和と民主主義の基礎となっています。

冷戦の始まりと占領政策の転換

1947年頃から米ソ間の対立が深まり、東西冷戦が本格化すると、アメリカの対日政策は「非軍事化・民主化」から「反共の防波堤としての日本の経済復興」へと転換しました。これを「逆コース」と呼びます。

主な政策変更:

  • 公職追放者の復帰許可
  • 財閥解体の緩和
  • 警察予備隊(後の自衛隊)の創設
  • レッドパージ(共産主義者の公職追放)

この政策転換は、冷戦構造の中で日本が西側陣営の一員として位置づけられるきっかけとなりました。

サンフランシスコ講和条約と独立回復

1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約が調印され、1952年4月28日に発効。これにより日本は約7年間の占領から独立を回復しました。同時に日米安全保障条約も締結され、アメリカ軍の日本駐留が継続することになりました。

講和条約の主な内容:

  • 日本の主権回復と独立国としての国際社会復帰
  • 一部領土の放棄(千島列島、台湾、朝鮮半島など)
  • 連合国に対する賠償義務

しかし、ソ連・中国・インドなどは講和条約に調印せず、日ソ国交回復は1956年、日中国交正常化は1972年まで待つことになります。

55年体制の成立と高度経済成長期(1952年から72年)

1950年代半ばから1970年代初頭までの日本は、政治的安定と急速な経済成長を経験した時代でした。この時期の政治経済の動向を見ていきましょう。

保守合同と55年体制の成立

1955年、それまで分裂していた保守勢力が大同団結し、自由民主党(自民党)が結成されました。同時に左派・右派に分かれていた社会党も統一され、自民党と社会党による二大政党制が形成されました。これが「55年体制」と呼ばれるものです。

55年体制の特徴:

  • 保守政党(自民党)の長期単独政権
  • 社会党を中心とする野党の存在
  • 冷戦構造を背景とした保革対立
  • 自民党内の派閥政治

この体制は1993年まで約38年間続き、日本の政治的安定をもたらすとともに、高度経済成長の政治的基盤となりました。

安保闘争と政治的対立

1960年、岸信介内閣は日米安全保障条約の改定を推進しましたが、これに対して大規模な反対運動(安保闘争)が発生しました。国会周辺には連日数十万人のデモ隊が集結し、東大生の樺美智子さんが死亡する事態も発生しました。

安保闘争の争点:

  • 条約改定による日米軍事同盟の強化への懸念
  • アメリカの核戦略に日本が組み込まれることへの反対
  • 憲法9条の平和主義との整合性
  • 岸内閣の強引な国会運営への批判

結局、安保条約は改定されましたが、岸首相は責任を取って退陣。この出来事は戦後日本政治における最大の政治的危機の一つとなりました。

高度経済成長と社会変化

1955年から1973年のオイルショックまで、日本経済は年平均10%前後の高い経済成長を遂げました。この時期、日本のGDPは世界第2位にまで成長し、「経済大国」の地位を確立しました。

高度経済成長の要因:

  • 所得倍増計画などの経済政策
  • 技術革新と設備投資の拡大
  • 豊富で質の高い労働力
  • 国際的な自由貿易体制
  • 低い防衛費と高い民間投資

この経済成長は「三種の神器」(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)から「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー)へと消費生活を変え、都市化や核家族化など日本社会を大きく変容させました。

佐藤政権と沖縄返還

1964年から1972年まで続いた佐藤栄作政権は、戦後最長の内閣として様々な成果を上げました。特に1972年の沖縄返還は大きな外交的成果として評価されています。

佐藤政権の主な実績:

  • 沖縄の本土復帰(1972年)
  • 非核三原則の提唱
  • 日韓基本条約の締結(1965年)
  • 公害対策基本法の制定など環境政策の推進

沖縄返還は日本の戦後処理の大きな節目となりましたが、米軍基地の存続など多くの課題も残しました。佐藤首相はこの功績により、日本人初のノーベル平和賞を受賞しています。

この時期は日本が敗戦から立ち直り、政治的安定と経済的繁栄を実現した「黄金期」とも言えますが、公害問題や都市問題など成長の歪みも表面化した時代でした。

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